◎制作風景 |
5.june.2002 |
9.june.2002 |
9.june.2002 |
12.june.2002 |
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◎作品について |
作品を見せる過程で、そこに描かれ、再現されている何かを「読み解く」ことに注意を示すのではなく、支持体と絵具がつくりだす画面上の出来事を「知覚」させられること、目の前にある形や色を目で追うというより、むしろむき出しの物質感を体全体で感じ、「見ている」といった状態にしたい。 見る人があえて日常の延長上で「知覚」することだけに集中できるようなものをつくりだそうとしている。そのために何かを連想させてしまうイメージでなく、現実感を強調させるために紙や額といったサイズのあるものでなくその場所にある事を物質にして見る人の目の前におくことによって、より生々しく「知覚すること」そのものを突きつけようとしている。目の前のモノが不意に不思議な見ているモノとは違う物体に見えるときがあるように、日頃意味や記号によって物を捉えている私たちに対して、私たちが潜在的に持っている本来の姿を感じられるのではないか?「知覚」の問題は特別なものではなく、私たちの日常を支えている基本的な問題でもある。私たちは目の前にある物体を言葉によってのみ捉えているわけではない。それらを感じ知覚することによって初めてそのものを実感し、そのものとの関係を築いていけると思う。 |
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◎作品の基本コンセプト |
『perceived
light (知覚された光)』光の速度は人間が光を一つの物体として認識するにはあまりにも速すぎ捕らえる事ができない。しかし、現実には確かに眼の網膜が光に反応しモノを見る事ができる。これは一つ一つの異なる光の粒を脳が理解しようとした時に処理がおいつかずに安定した状態(光が連続して眼に入ってくる)を無意識に求めているからではないだろうか?一つ一つの光の粒を認識しようとした時に光の運動がある限り多分捕らえられないだろう。そこには時間が存在するからだ。平面絵画には時間の流れが存在しない。時間の流れを感じさせる作品は造れてもその画面は絶えず静止状態だ。時間軸の存在しない画面に光を物質化させようとした時に光は一つの粒子としてまたその集合体がそこに留まり浮遊しつづける。
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◎作品 |
「perceived
light - sizing -」 |
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◎略歴 |
1979 |
兵庫県生まれ |
2000 |
嵯峨美術短期大学美術学科版画コース卒業 |
2002 |
京都嵯峨芸術大学短期大学部専攻科混合表現コース終了 |
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個 展 |
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2002 |
「perceived
light」 (大阪/信濃橋画廊apron) |
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グループ展 |
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1999 |
「浪人侍」(大阪/プラネットステーションパブリックスペース) |
2000 |
「スライスされた根拠」(京都/アートスペース嵯峨) |
2001 |
「第26回全国大学版画展」(東京/町田市立国際版画美術館) |
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