インターメディウム研究所M1コース17名による
今回の展覧会のテーマは「森/景」は
「flowscape―流れる景色―」という一貫したテーマの下に開かれる展覧会。
ライブパフォーマンス「天地(あわ)のうた」 の様子 
出品作家
  粟島憲朗、新宮雅人、横山知英、山下絢也、上田譲、大野木達也、畑村貴洋、奥田雅之、許田敦子、後藤祐樹、佐原正規、白根澤直久、中村恭子、長瀬久典、福島正知、裕美子、堀内敬子、松本健司、山添智子、吉田奈美
 
A 「仮森」「惑星音盤」
正方形の箱の上面にある9つの穴に玉を好きなようにならべ、クランクを手で自由に回すことで様々な音を奏でるオリジナル楽器-惑星音盤-(澁澤龍彦に捧ぐ)。そして音盤を中心にして森に生える奥深く静寂な余情ある植物、優美妖艶な花々を表現した作品群-仮森-が佇む。不思議な光景と音色が森の息吹を伝え、奥に続く幽玄の世界への入口となる。
B 「arubeki-hito」
人間は時代(外的)と自身(内的)の流動的な変化によって人格が形成されていく。例えば本来あるべき人間の姿とはいかなるもので、人々はどのような哲学的思考を養っていくのだろうか・・・この作品は人間の限られた人生を描き、日常の連鎖に埋没し「思索する」行為を忘却した彼らが、いかに外的事象や情報に思考が左右されるかを逆説的に表現し、純人間を模索した映像である。
C 「「森」から発想される世界」
古里の山  森林浴  原始の世界  幻想的な場所  神聖なる地  迷い込む恐怖
人は思い悩むと森へ向かうという。その「森」とは一体どういう森なのか。 インタラクティブな映像、幻想的に林立するオブジェクトそして「遺跡」?によって表現。それぞれの思いが交錯する空間インスタレーション作品を提案する
D「ife reactor〜生命の坩堝〜」
いにしえより、人は森に畏怖の念を抱いていた。入ってはならない聖なる場所として祭られてきた。その一方で、人は森の恵みに感謝を忘れなかった。人は森に生かされていた。森の何たるかを知っていた。そんなことを忘れてしまった、今を生きる人に問う。そこには何があるのか? ただの気のせいなのか?単なる未開の地なのか?いや、違う。行ってみよう行けばわかるさ、そこが何かってことが。
E 「森の中を歩き回って見つかるものは行きつくところはあるのかないのか」
森の中を歩き回って見つかるものは行きつくところはあるのかないのかもりの葉の無数の集積 木漏れ日のかすかな導き出口だと思った場所はもしかしたらただの入口 えんえんと繰り返すループにはまるふたを開けるあるいは閉める その勇気もあるのかないのか ここには境界線を引くものはなにも存在しない
F 「cafe 此素食否粗食」
食は人にとって根源的な営みの一つである。これは太古より変わっていない。人は人以前、森で食を採り、とっていた。現在、人は街で食をとり、工場や農場で食を採っている。人が食を”とる場”と”採る場”を分離させて久しい。今回、全体として異質な森の中に、街を具象化したcafeという空間を作り、その中で食をとり、憩う場をつくる。それにより、現在における人の、太古とは異質な根源的な営みを思い起こさせる。